忍者ブログ

書いた遠近のリメー

子供の言い訳には

 相手は眉を上げる。
「おまえら、農場の子だろう? 本なんか読んで、どうするんだ」
「だから、兄貴にやるんだよ」
 シャリースはぐらつく御者台の上で身を乗り出した。
「兄貴は学者になりたいんだ。エンレイズの学校に行きたがってる。本なら何でも読んでおきたいんだ」
 シャリースの兄レンドルーは、弟と、十以上年が離れている。
 もうすぐ二十一になるレンドルーは、当然のことながら、既に一人前の男として扱われており、子供になど構わなくとも許されるはずだった。にも拘わらず、兄弟は仲がいい。他の若者たちとは違い、レンドルーは、小さな子供が何かと側にまとわりついてくるのを苦にしなかった。シャリースにとって、兄は何でも相談出来る、貴重な大人である。
 そしてそれは、ダルウィンにとっても同じことだ。早くに母を亡くした彼は、以来、父親が働いている間、シャリースの家に預けられることが多くなった。シャリースの母は、子供が一人増えたという事実を動じることなく受け入れ、レンドルーもまた、ダルウィンを弟同然に扱った。
 レンドルーは面倒見が良かった。シャリースとダルウィンに、読み書きを教えたのも彼だ。彼は弟たちに本を読み聞かせ、彼らに宛《あて》がわれた仕事を手伝い、親に叱られたときにはいつも庇《かば》ってくれた。親たちも、子供の言い訳には取り合わなくとも、レンドルーの言葉には耳を貸すのだ。だからこそシャリースとダルウィンは、彼のために苦労を惜しまない。
 子供たちの熱心な視線を浴びながら、小間物屋はしばしの間、思案げに沈黙した。
「……それで、肝心の、おまえさんの兄貴はどこだ? ここに来てるのか?」
「兄貴は家で寝てる」
 シャリースは肩をすくめた。
「病気なんだ——いつものことだけど」
 そしてそれが、彼の兄が、エンレイズの学校に行けぬ理由でもある。
 手に負えぬ餓鬼大将として近隣に悪名高いシャリースとは違い、レンドルーは、病弱で物静かな青年だった。ベッドに横たわり、手に入るだけの書物を読んで過ごすことの多かった彼は、いつしか、自然豊かな故郷セリンフィルドより、洗練された都会である隣国エンレイズと、その文化に憧れるようになっていた。エンレイズの学校で学び、生涯を学問に捧げることが、彼の夢なのだ。
 兄の意を汲《く》み、シャリースは早々に、父の農場は自分が継ぐと宣言していた。農場の跡継ぎという立場から解放されれば、兄も心置きなく、学業に励めるはずだ。両親も、身体の弱い長男より、元気の有り余った次男の方が、農場の仕事には向いていると考えている。
 だが、肝心のレンドルーの体調が万全とはいえず、この計画は実現されぬまま今に至っている。
 ベッドにいるレンドルーに、読んだことのない本は、最高の贈り物になるはずだ。シャリースもダルウィンも、彼が如何に新しい本を切望しているか、よく知っていた。セリンフィルドの田舎では、どんな本であれ、手に入れるのは簡単ではないのである。
 小間物屋は、二人の子供の顔を見比べた。逡巡《しゅんじゅん》しているかのように唇の端を引き下げ、そして、掴んだままだった瓶に目を落とす。
「これは、酒か」
 シャリースはうなずいた。
「うん」
 普通の状態であれば、シャリースはそんなことを素直に認めたりはしなかっただろう。頭を絞って、瓶の中身を誤魔化そうとしたはずだ。だがすぐり酒は、彼の頭からそうした注意深さを拭い去っていた。
 幸い髭面の小間物屋は、子供が酒瓶を持っており、しかも明らかにその中身を飲んでいたことについて、叱責の類《たぐい》の言葉を一切口にしなかった。その代わり、彼は断りもなく瓶の栓を抜くと、中身を呷《あお》った。
「いいか、坊主ども」
 栓をしないまま御者台に酒瓶を戻し、彼はダルウィンの手にあった本を取り上げた。二冊まとめて自分の隣に積み、子供たちを交互に見据える。
「言っとくが、本てのは安かねえぞ。おまえら幾ら持ってる?」
 子供たちは顔を見合わせた。
 実のところ、彼らには、本を買った経験などなかった。それが実際に幾らするものか、考えたこともない。ただはっきりしているのは、自分たちの手元には、もはや十分な金など残っていないという事実だけだ。
 だがダルウィンが、手っ取り早い解決策を見出した。御者台の上で伸び上がる。
「ええと、あそこに親父が……」
PR

コメント

プロフィール

HN:
No Name Ninja
性別:
非公開

P R