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書いた遠近のリメー

ら祭を追いかけて旅に出な


「いや、ムリは承知でござんす」
 浪士たちから、「河原乞食ふぜいが」と二言目には罵声《ばせい》を浴びせかけられている役者たちが、よほどひどい屈辱を受けたのだろう。酒盛りのあとかたづけをしてながら、一歩も譲らないといった顔つきである。
「それじゃ芝居にならねえぜ」
 が、七五郎は初めからムチャは承知とばかりに、
「どうでしょう其角さん、この演しもの、しばらく中止にしといてくれませんか。もうすぐ夏になりやす。あっしら祭を追いかけて旅に出なきゃなりません。正直言って持ち金が底をついたんでさ」
 其角も仕方なく、
「一気に仇討ちしてくれりゃボロも出なくてすんだのにな」
「赤穂の方々のやる気が出ないことには、どうにもなりませんわな」
 七五郎はすっきりした顔つきで、そそくさと旅仕度にかかる。
「田村右京大夫って御老人はまだ飛び込んでくるかい?」
「ええ、切腹の場面になると飛び込んできちゃあ、庭が、苔《こけ》がってわけのわかんないこと言って、舞台の飾りものぶち壊して、あっしらほとほと困っていやす。が、飛び込んでくるのは田村さんだけじゃありません。多門伝八郎という方なんぞ、女ものの襦袢を着て前をはだけてヨダレを垂らし、誰彼の見境いなく飛びかかってきやす。大男で力の強い人ですから、二、三人で飛びかかったって止められやしません。あっしら河原乞食には怖いもんなんかありゃしませんが、あの人だけはどうにも気色悪くってかなわねえ」
 まだ四月の終わりだというのに、七五郎たちは、夏が過ぎたら帰ってくるとだけ言い残し、小屋をたたんで大八車に分散し、ハタハタのぼりをはためかせ、北へ向かった。
 日本橋のたもとには、中村座のあったところだけ土がむき出しのガランとした空き地として残っていたが、それもいつしか雑草が生い茂り、ただの草っ原に変わってしまった。
 近松の言を借りれば、討ち入りは待つものではなく、させるものだということになるが、今の其角にはなすすべがなかった。あの男は何を考えている? 決して自らは、中村座に姿を見せたことのない大石内蔵助の細い目の奥のしたたかな光を其角は思った。

 五月になり、紙で作ったカブトや鯉《こい》のぼりを持った子供たちのはしゃぐ声が、掃き溜《だ》めのような貧乏長屋にもこだましていた。
 品川寺の鐘供養も過ぎて端午《たんご》の節句を迎えた江戸の町は、行く春を惜しむ間もなく夏を待っていた。
 すでに松の廊下の一件は人々から完全に忘れさられてしまっていた。
 ここにきて其角の生活は急に楽になっていた。それぞれの辞世を懐に討ち入りするという段取りだったので、三十ばかり作ってあったのを惜しむことなく片っ端から叩《たた》き売ったのである。其角はその金で酒びたりの日々を送っていた。
 あれだけ仇討ちに熱心だった武太夫にも縁談話がもちあがり、最近はちっとも蛙長屋に顔をみせない。ついこのあいだまでは、お互いに独身という身軽さのせいで、其角と武太夫はよく互いの家を行き来していたのだ。気さくでひょうきんな性格の武太夫は、ぶらりと蛙長屋に訪ねてきては、
「おっ、まだ嫁さんもらってませんね」
 と其角を牽制《けんせい》する。かと思うと其角を夕食に招き、こまごました家庭用品を買いそろえるのが趣味らしく、一式そろった台所用品を自慢げに見せ、ピカピカに磨きあげた鍋《なべ》や釜《かま》を手に料理を作りながら、
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